髪を切ったら、何を信じればいいのか分かった
女の子がこんなことを言ったとします。
「髪?切ったよ!暑かったからバッサリいっちゃった!」
この子、絶対失恋してますよね。
もし失恋じゃなかったら、好きな人がショートヘアがタイプだと発覚したか、運動部ガチ勢かのどっちかです。
まあ失恋でしょう。たぶん本人も「違う!」と言い張ると思うけど。
美容師は、自分が髪を切っている女性が失恋したかどうかを見分けられるそうです。
失恋した女性は、髪を切っている間、鏡に映る自分をじっと見つめているらしいです。
新しい自分が生まれる過程だからです。失恋して前に進みたい女性の深層心理を表しているのです。
さてさて、私先日髪を切って、ほどよくイケメンになりました(何言ってもいいでしょ、誰も読んでないんだから)
上を読んだらお察しかもしれませんが、私も鏡に映る自分を凝視していたわけです。女々しいですね。
何があったのでしょう。
私は今「キープ」されています。半年前に振られた元カノにです。
そいつは、私にとって初めての恋人でした。
そいつは他の男(なんなら私の親友)と付き合ったりしていますが、私は未だに次の相手を見つけていません。
好きになるかと思ったらなぜか冷めてしまう。そんな日々を繰り返していました。
大好きだった人にキープされている状態、いつかあの頃に戻れるかもしれないと思わせてくれる状態が心地よかったのです。
理性が「あいつはもうやめとけ、次に行け」と言う一方、本能が「いや、やっぱりあいつしかいない」と言っていた気もします。
最近弄び方が露骨になってきたところでしたが、「まあ、今はこれでいいか」と、うかうかしていました。
「今はこれでいいか」と思っていたのですが……
小気味良いハサミの音を聞きながら、私は、無意識に鏡越しの自分を見つめていました。
失恋した女みたいで女々しいな。と思って目をそらそうとするのですが、心のどこかがそれを許さず、結局ずっと見ていました。
「前に進みたいんだな」
ふいに気付きました。
今まで頭では分かってるけど…だったことが、驚くぐらい滑らかに腑に落ちました。
ずっと悩んでいました。
頭で考えてることを信じればいいのか、本心で思っていることを信じればいいのか、それとも人から聞いたことを信じればいいのか。
けど、その悩み自体が間違っていました。
本心で思っていることが何なのか、自分でも全く分かっていませんでした。
頭で考えていたことと、心で思っていたことは、実は同じだということを、無意識に一点を見つめる自分が教えてくれました。
信じるべきものは自分の中にある。
当たり前のことではありますが、今回の一件で分かりました。
それは、とても理性的なことかもしれないし、逆にとてもエモーショナルなことかもしれない。もしかしたら、自分でも気付いていない感情かもしれない。
どれを信じるかは時と場合による。けれど、自分の中にあるものなのは間違いない。
ただ、迷ったときはじっと自分を見つめて、自分はどんなことを考え、思っているのかを問うてみる。
そうすることだけが、自分にとっての確かな正解を見付ける方法なのです。
「気になってるあの子、遊びに誘ってみようかな」
帰り道、髪の風通しがよくなったのを感じながら、そんなことを考えていました。
バランスのとれた社会を
今月2回目の更新。ちょっとだけ成長。よしよし。
前回書いたふたつの「問い」の2つ目のお話です。
「自分が実現したい社会とはいかなるものか」
最近、自分がどんなことに関わりたいのか、どんな人になりたいのか(私は"Life Mission"と呼んでいます)などが、少しずつ見えてきて、言葉になってきました。
でも、私が知人にそのあたりのことを話すと、絶対に聞かれるのが、これです。
「お前はその先にどんな社会を実現したいの?」
今までの私だったら、ここで答えに詰まって、それっぽい言葉を並べ立ててました。そこまで考えたことがなかったから、けれど考えるべきことだと盲信していたからです。やっとほんの少し視座が上がった私は、「自分はどんな社会を実現したいのか」考え始めました。
そして、拙いながら私が出したアウトプットが、これ。
「バランスのとれた社会」
バランスとは。
世界には、自分なりの正義を持っている人が大勢います。私がいつも出す例はイスラム国で、彼らは人を殺めたい訳ではなく、自分たちの理想と信条に基づいて行動しているだけだ、私はそう信じています。
一方、理想を追い求めている訳ではなく、自分のエゴのためだけに行動する人が多くいるのも事実です。政治の世界で汚職がはびこっていることからもお分かりでしょう。
また、「バランス」という点では、格差の是正も一つのテーマになりそうです。アメリカとリベリア、どう考えても人々が享受できる価値の「バランス」がとれていません。
思ったよりたくさんの人たちが持っている「社会をよくしたい」という想いをモデレートし、痛みを感じる人がいない形で昇華されている。明らかな差が是正され、全ての人々にあらゆる価値を得るチャンスがある。そんな社会を実現したいと、今私は思っています。
書きながら、今の自分の知識の少なさと言葉の薄っぺらさを、ひしひしと感じました。もっともっと知識を付けて、自分のビジョンの粒度を高めて、またここに書かせてもらいます。
リトライアル
かれこれ1年以上更新をサボってました。
こんなブログ誰も見てないのは知ってるけど、なんだか謝らざるをえない気がします。
ごめんなさい。
心を入れ替えて、今日からちょこちょこ綴っていきたいと思います。
ひとまず、最近どんなことをしているのか、徒然なるままに書きます。
ここ数日ずっと考えている問いがふたつばかり。
ひとつめ「自分はどんな方向に尖っていこうか。」
自分は、全国に1000人以上の同志がいる学生団体に所属しています。
その団体のOBが講演で言っていたことが胸に刺さりました。
「ここにいる全員が、どうせこの団体で埋もれて去っていく」
間違いないですね。
1000人の団体で目立てないやつに、世界で価値なんて生み出せるわけがない。
今は、手当たり次第にいろいろなものに触れて、どこで尖るのか取捨選択しているところです。
余計なものを削ぎ落として、極めようと決めたものに邁進する。
これが、ふわっとした意味で多用される「尖る」ということだと思います。
「3つの肩書きを持てば価値は1万倍になる」なんて言葉がありますが、欲張らない。
まずは一つ。大学にいる間に一つでいいから極める。
尖ります。誰にも負けないところまで尖ります。
いつか世界に突き刺さる何かを生み出します。
ふたつめの問いは次回書きます。
その方がこのブログを続けられる気がするから。
頑張る#とは
「頑張る」「頑張れ」「頑張ろう」「頑張らなきゃ」
普段何気なく使われる「頑張る」という言葉。
では、頑張っている人とはどんな人か。
成果を残している人。
確かに頑張っているかもしれない。しかし、これでは不十分だ。
成果が出なくても頑張っている人が浮かばれない。
頑張る#とは
私は、「悩むこと」だと思う。
何かを頑張ろうとしない人は、そもそもそのことで悩みなどしない。
頑張っているということは、それがいつも頭の中にある。だから悩む。
頑張っているから、もっと頑張りたいと思うからこそ、
それが出来ない自分にイライラする。
逃げたくないと思うのは、それを頑張る自分がいることを知っている証拠だ。
「頑張れてない」なんて言うな。
「逃げてる気がする」なんて言うな。
そんな風に悩んでいる時点で、君は頑張ってる。
新しい季節が始まる日の投稿でした。
Specialize
Specialize
このブログのタイトルです。
辞書によれば「特別にする」という意味だそうです。
嘘です。私が勝手に作りました。
でも、ちゃんと思いは込めてあります。
先日、とてもいい経験をしました。自分にとっては思い切った決断をした結果です。
自分が動いたから、素敵な人に会えて、素敵なものを見れた。少しだけ自分がやりたいことも見えてきた。
自分が動いたから、特別な一日になった。
下らない日々を送るか、過ぎていく日々を特別なものにするか、
全ては自分次第。
そんな思いと自分への戒めを込めて。
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